月読宮へ
伊勢市駅から内宮方面へ 御幸道路を走っていると左手に大きな森と月読宮の鳥居が現れます。
鳥居前の駐車スペースに車を止めて、月読宮へお邪魔します。
少しうっすらとした森を歩いて行くと急に空が開けます。
そして、綺麗なお宮が四つ現れます。
月読宮以下四別宮
御祭神
月読宮 月読尊
月読荒御魂宮 月読尊荒御魂
伊佐奈岐宮 伊弉諾尊
伊佐奈彌宮 伊弉冉尊
お宮の順番は、正面に立ち、右から
月読荒御魂宮 月読宮 伊佐奈岐宮 伊佐奈彌宮 となっています。
お参りの順番は月読宮 月読荒御魂宮 伊佐奈岐宮 伊佐奈彌宮の順番でするそうです。
伊佐奈岐尊(いざなぎのみこと)が黄泉国から戻られた際、禊ぎをして右目からお生まれになられたのが月読尊様です。
そして、伊佐奈岐尊は月読尊様に夜之食国(よるのおすくに)を治めるようにご委任されたそうです。
食す(おす)は「統治する」の意味だそうです。
月読尊様は、その光彩が天照大御神様に次ぐものとされ、太陽に次ぐ月 になぞらえてお讃えしたもの といわれているそうです。
こちらの月読宮の宿衛屋にいらした方に、月読宮と月読荒御魂宮の違いをお聞きしました。
月読荒御魂様は、月読尊様が変身したお姿ですよ、と、教えて下さいました。
荒魂とは、神様の御魂のおだやかなお姿を和御魂(にぎみたま)と申し上げるのに対して、時に臨んで格別に顕著な神威をあらわされる御魂のお働きです。 神宮司庁のパンフレットより
おおおおおおお、、、と、驚いて、また感動しました。
和魂と荒魂はこちらに少し書いておりますのでよろしければ ご覧下さい ↓
夜の国をお治めになる月読尊様、月読荒御魂様、そして、親神様。
四つのお宮にお参りし、不思議と暖かな気持ちになりました。
倭姫宮へ
そして、月読宮を後に、倭姫宮へ。
来た道(御幸道路)を少し伊勢市駅の方へ戻ると、道沿いの左側に倭姫宮の入り口があります。
同じように入り口に車を止め、倭姫宮へお邪魔します。
太陽がサンサンと出てきました。
青空と木々の緑が美しく心がまた洗われます。
奥へと進んでいくと、ここもまた、なんと美しいお宮でしょうか。
倭姫命
倭姫様は、第11代天皇、垂仁天皇の皇女様で、伊勢に伊勢神宮を建てた方だそうです。
私は、お名前も含めて、はじめて知りました。
感動です。
倭姫様は、今から2000年以上も前、天照大御神様を祀るのにふさわしい場所を探す旅をしたそうです。
そして、現在の伊勢に、伊勢神宮を創建したそうです。
倭姫様は、天照大御神様を伊勢に祀り、伊勢神宮の初代斎宮となったそうです。
そして、甥には日本武尊様がいらっしゃり、日本武尊様が東征に向う際に、草薙剣を与えたそうです。
倭姫様は、第10代崇神天皇の皇女様 豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の後を継いで、天照大御神様の御杖代(みつえしろ)として旅をされ、大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入ったそうです。
(御杖代とは依代として神様に仕えるもの、神の意を受ける依代、という意味だそうです。そして、文字通りに、「杖の代わり」 として、遷幸をを助ける意味も含まれているそうです。)
そして、倭姫様は天照大御神様から、
「伊勢は常世の国からの波が何重も寄り来る国であり、辺境ではあるが美しい国なのでこの国に鎮座しよう」
と、いう御神託を授かり、伊勢に皇大神宮(伊勢神宮)を創建されたそうです。
そして、倭姫命が旅をして、伊勢神宮を創建するまでに、天照大御神様の御神体である八咫鏡を順次奉納した場所は、元伊勢と呼ばれているそうです。
まとめと次回
沢山の発見があります。
長い長い歴史の中で織りなされてきた大切なものごと。
知らなければ、知らないまま通り過ぎて行ってしまうものごと。
せめて気になったものごとには、心を向けて行きたいな、、と、改めて感じました。
次回は、天の岩戸 猿田彦神社 伊勢神宮外宮の別宮の月夜見宮です。
今回の伊勢の旅の終わりが近づいてまいりました。