十和田湖
この日(2019/5/11)は穏やかな五月の東北の風が迎えてくれました。
気持ちの良い新緑の風と十和田湖の波音を聞きながら湖畔を歩いて行きます。
目に見えるもの、耳に聞こえる音に身をゆだねていると、
まもなくしてこの像が姿を現します。
あった、、、。
この像に逢うためにここへ来ました。
乙女の像
わたしがこの像を知るきっかけになったのは、ある方の歌です。
そのお方は、高村光太郎の智恵子抄にメロディーをつけて歌われています。
その中で、
「十和田湖の裸像に与ふ」
と言う詩があります。
この方の影響でわたしは高村光太郎のことに興味を持ち、高村光太郎の詩集「智恵子抄」に興味を持ちました。
その中で、途方もないドラマを感じてしまうこの像に会いたくて、
今回は十和田湖を訪れました。
高村光太郎
明治の時代、十和田湖を世界的な景勝地として有名にした方々がおられました。
その方々の顕彰を目的として建てられたのが、この「乙女の像」です。
当初は石碑の建立の予定だったそうですが、芸術作品を据えることに話がまとまり、高村光太郎さんに依頼したそうです。
光太郎さんは、十和田湖の美しさに深く感動したそうです。
「自然美には人工を受け入れるものと受け入れないものの二つがある」
そう言っていた光太郎さんは、十和田湖を実際に見て感じて、作品のイメージを深めたそうです。
「私はギリシャはやらない、アブストラクトもやらない。明治の人だから明治の人としてものをつくりたい」
こんな言葉からも光太郎さんの頑なさや、誇りが感じられます。
光太郎さんと乙女の像
「湖水に写った自分の像を見ているうちに、同じものが向かい合い、見合う中で深まっていくものがあることを感じた」
これも光太郎さんの言葉です。
この深まっていくものにわたしは興味があるのです。
深まっていくものは、きっと人それぞれでしょう。
そして、それが何かは、当人しか分からず、また当人にも分からない。
でも確かにあるものなのです。
ここが、わたしが興味を持つ感覚的な世界です。
「二体の背の線を延ばした三角形が無限を表す」
これも光太郎さんの言葉です。
光太郎さんは、無限の先に、永遠の先に、何を見たのでしょう、、、。
これが光太郎さんの最後の仕事、最後の作品となったわけですが、
無限の美、
有限の命、
有限の美、
無限に続くもの、
変わらないもの、
変わり行くもの、、
その中で留めておきたい生きるものの証。。。
記念像の除幕式は昭和28年10月21日 雨の中で行われました。
光太郎さんは
「清めの雨だね」
といったそうです。
十和田湖の裸像に与ふ
乙女の像の近くに、光太郎さんの筆跡の石碑もあります。
ここに、
「十和田湖の裸像に与ふ」
と題した詩が刻まれています。
「十和田湖の裸像に与ふ」
銅とスズとの合金が立ってゐる
どんな造型が行われようと
無機質の図形には違いない
はらわたや粘液や脂や汗や生きものの
汚らしさはここにはない
すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで
天然四元の平手打ちをまともにうける
銅とスズとの合金で出来た
女の裸像が二人
影と形のように立ってゐる
いさぎよい非情の合金が青くさびて
地上に割れてくずれるまで
この原始林の圧力に堪えて
立つなら幾千年でも黙って立ってろ
大自然への敬意と抗えない出来事、
それと共に生きることへの人のあり方を示すように
、、、わたしには感じられます。
乙女
この像のモデルは藤井照子さんという方です。
当時十九歳で、モデル倶楽部に所属していた方のようです。
「みちのくの自然美に対抗できる、力に満ちた女性美の持ち主」
とコメントされています。
そして、この像の顔に関しては諸説あるようですが、
光太郎さんはこうコメントしています。
「智恵子だという人があってもいいし、そうでないという人があってもいい。見る人が決めればいい」
光太郎さんの、この像の製作中のことを想像してしまいます。
いろいろな想いが込められてこの像と向き合ってつくられたのだな、と感じます。
光太郎さんと智恵子さん
わたしには、この二体の裸像は光太郎さんと智恵子さんなのだな、、と感じています。
向き合うことで深まっていくもの、、
それは自分だけだったり、
側にいる人同士だったり、
と、
二人で一人のような強い繋がりを感じてしまいます。
まわりの自然が美しければ美しいほど、
厳しければ厳しいほど、
この二体の裸像、一つの存在、は強く結びついて行くように感じられます。
しばらくの間、乙女の像と静かな時間を過ごし、
あの方の歌を口ずさみながら、
大自然に溶け込み、
帰路につくことにします。
あの方の歌については、またの機会に。。。