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日々のまにまに。私事。ペンペルの詩。福島12市町村。

記憶旅行の旅 能登半島 塩の駅 輪島塩


輪島塩の駅

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能登半島を訪れて、その道すがら日本海沿い、奥能登絶景街道を走っていると、塩の駅 輪島塩という道の駅に出会いました。(2019/6/9)
塩の駅とは初めて聞いたので興味深く思い立ち寄ることにしました。
するといろいろなことが分かりました。

 

塩の歴史

日本で塩が使われるようになったのは縄文時代の終わりから弥生時代にかけてだそうです。古代は「藻塩焼き」と呼ばれる方法で塩を取っていたそうです。
万葉集にもこの「藻塩焼き」は登場するようで、8世紀頃には、かなりの生産地が存在していたようです。

鎌倉時代になると塩田も整えられ、「揚浜式」と「入浜式」に分けられました。
能登半島の塩づくり、輪島の塩づくりは、この「揚浜式」で、日本で唯一残っている場所だそうです。

 

揚浜式塩田 

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春から夏にかけて朝早くから海水を汲んで砂地の塩田に巻きます。

太陽の光と風でその塩田の砂を乾かし、その海水のかかった乾いた砂を集めて、再び海水で洗い流して「かんすい」と呼ばれる濃い塩水を採ります。

これを大釜に入れてじっくりと炊き上げて結晶化させて製塩していきます。

これが、揚げ浜塩となります。

長い工程の後に、わずかに採れる海のめぐみです。


世界農業遺産


揚浜式製塩は、400年以上の歴史を持つそうです。
国の重要無形民俗文化財にも指定されている能登の伝統文化だそうです。

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製塩に従事する技術者のことを浜士(はまじ)と呼ぶそうです。
浜士になるには10年以上もかかるほどの経験と技術を必要とします。
揚浜式製塩は雨の日は出来ないので、塩まきの判断は、水平線の見え方や雲の様子など、浜士の長年の勘で天候を予測して判断されるそうです。

揚浜式製塩をより詳しく


塩づくりの原料となる海水を汲みに行きます。
ひとつ36リットルもの海水が入る「かえ桶」というものを「肩荷棒」という桐の丸棒を使って担ぎ汲みに行きます。汲み上げる海水の量は1回で72リットルにもなります。
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汲んできた海水は,、塩田の真ん中に置かれた「しこけ」と呼ばれる大きな桶に集められます。「しこけ」に海水を溜め、今度は、「おちょけ」という小さな桶ですくって塩田にまんべんなく海水を撒いていきます。
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海水が乾いたら、塩田の中央にある「たれ舟」という集積所まで「いぶり」という砂を集める道具を使って、数人で手分けして砂を集めます。グランド整備のトンボのような道具です。

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砂を集めた場所に板を組み立て「沼井(ぬい)」と呼ばれる箱をつくり、縄で締め上げて固定します。
「沼井」の底にむしろを敷き、「しっぱつ」というスコップのような道具で、かき集めた砂をすくって入れます。

砂の上にまたむしろを敷き海水を注ぎます。

「沼井」の底には目皿が張られており、塩分濃度の高い「かん砂」を通過しながら海水がゆっくりろ過され、底の穴からさらに塩分濃度の高い「かん水」が流れ出てきます。

「かん水」の塩分濃度は、普通の海水の5倍もあるそうす。

できあがった「かん水」は約600リットル入る釜に移されます。

そして、まず薪で6時間ほど炊き上げられます。これは、「荒炊き」と呼ばれる作業で、1度ゴミや不純物を取り除きます。
その後、今度は17時間の「本炊き」に入ります。ここからは燃料にわらを使い、柔らかい炎でじっくり炊き上げていきます。

そして、「かん水」を煮詰めると、結晶化した塩が浮き上がってきます。

この表面の塩を集めて4~5日放置して、にがりを抜けば「揚げ浜塩」の完成となります。

1080リットルの「かん水」から取れる塩の量はたったの180kgという非情に希少なものだそうです。

体験

ここ塩の駅 輪島塩 では、揚浜式製塩の塩づくりの工程見学や体験が出来るようですが、この日は、あいにくの曇り空。

見学や体験は出来ませんでしたが、道具を持ったり、釜を見せてもらったりは出来ました。

道具の1つ1つはかなり重いものでした。
手間暇をかけて、かなりの労力を使い、貴重なお塩をつくっているのですね。

塩の駅

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ここ輪島は、曽々木、珠洲方面、能登半島の先端の方へと向かう道の途中、最初の塩田だそうです。塩の道が始まる起点として、ここを「塩の駅」と名付けたそうです。

塩の道

塩の道は古代から続く生活の道です。

塩や海産物を内陸に運ぶ際に使われた道のことをいいます。
また反対に内陸からは、山の幸や木材や鉱物を運ぶ道としても使われました。

日本各地で海と山を結ぶかたちで数多くあったようです。

製塩が科学製法になると、海辺のこれらの塩田を頼りにしなくてもすむようになり、塩の道としての認識は薄れましたが、この道の多くは、今でも物流の主要なルートとして残っているようです。

調べていくとこの塩の道にも沢山の物語がありそうです。

今回は、あまり深入りしないでおきます。

 まとめ

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揚げ浜式製塩は機械的な工程がないので、一般の塩よりもミネラル分が多く含まれているそうです。

プランクトンが豊富な能登の海と、山からの水、そして薪、里山里海の恵みに人の手が加わって、手間暇かけて塩が生み出されていきます。

その結晶もまた素晴らしく美しいものでした。

生活に欠かせない塩、大自然からの恵みをそのまま頂ける貴重なお塩です。

この日は、ここ輪島塩でソフトクリームにつけていただきました。
これがまた素晴らしく美味。
甘さと優しいしょっぱさと、曇り空の日本海を眺めながら、皆さんに感謝を込めて、ありがたく頂きました。

 

 

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